三重県津市の神宮

神宮内は神聖な雰囲気

津城の石垣

津八幡宮

津八幡宮(つはちまんぐう)は藤方にありますが、ここは津まつりで御馴染みの神宮なので藤方在住の方だけでなく三重県のどこに住んでいても、 津八幡宮の名前は知っているのではないでしょうか。 津まつりは400年近く昔から続いているお祭りで、戦時中は中断されていた時期もありますがおそらく300回以上は開催されてきたと思われます。 千人を越える行列で街中を練り歩くこの催しは、津市民ならみんな楽しみにしており年中次の津まつりのことを考えて過ごしています。 この祭りは津八幡宮の氏神祭であるため、この一帯の園児や幼児の将来の夢は津八幡宮になること、がトップになる日もそう遠くはないかもしれません。 もともとはここではなく千歳山にあったそうですが、1632年に今の場所へ移動されたらしいです。 お寺や神社は1人暮らしをしているOLやサラリーマンほどの頻度で引越しをすることはありませんが、それでも稀にそうしたことも起こります。 また日本では春が入学・卒業シーズンということもあり3月に引越しをされる若人が多いのですが、この法則は神社には当てはまりません。 なにせ神社はどこにも入学しませんし就職もしないからです。 転勤もなければ転校もなく、その土地でドンと構えていればいいのです。 たまに人間の都合で引っ越すことはありますが、神社としてはきっと永遠にその場に留まることを望んでいるでしょう。

寒松院

津市の寿町にある寒松院(かんしょういん)は改名された過去を持つので、大昔の呼び名とは違うため古い書物で探す場合には注意が必要ということを 忘れずに調査に励まなければならないでしょう。 江戸時代までは昌泉院と呼ばれていましたが、藩祖である高虎公の霊をここでまつることになったため彼の院号から寒松院と名を変えました。 そうしたこともあり代々の藩主から大切にされ、活動資金も藩費から出ていたのでかなり優遇されていたのでしょう。 藩祖高虎公の百五十回忌にはなんとも豪華に、鐘楼と鐘を授かっています。 鐘はいくらくらいするのか、鐘楼を作るのにはどれだけのお金を出せばいいのかよくわかりませんが、喫茶店で友人に「コーヒー奢るよ」と言う場合の 1万倍以上の出費になるのではないでしょうか。 それをポンと出してくれるということは、藩主から相当気に入られていた証拠にほかならないでしょう。 しかしそんな甘美な関係も明治時代に途切れてしまいます。そして戦火に巻き込まれ、寒松院は焼け落ちてしまうのです。 現在の寒松院は昔からここにあった建物ではないのです。 また墓所には代々の藩主のお墓があるのですが、ここも戦争で一部失われてしまったところがあり、完全に揃ってはいません。

津城跡

お城公園として親しまれている津城跡は丸の内にある散歩に適した公園で、早朝から何人かが散歩している姿をみかけることができます。 ここは1580年に築城されたのですが、誰がつくったのかを知らない人が聞いたら驚くかもしれません。 ビッグネームが出てくるので「ほぉ」と声を出してしまいそうになるでしょう。 ここまで焦らしておいて教えない、というのもちょっと面白そうですしこの場で名前を出すのはやめておきますので、興味のあるかたは津城まで足を運んで自分の力で調べてみてください。 北海道や九州・沖縄の人だと日帰りは無理でしょうから、長期連休に合わせて三重県へ旅行したり、職場のみんなで有給休暇をまとめてとって一緒に城巡りをしてみても楽しそうですね。 お金が無くて行けないよ、という人はインターネットで検索をしたり、質問してだれかに回答してもらえば疑問も解決するでしょう。 「お金がないからパソコン持ってないよ」という人や「パソコンは持ってるけどお金がないからインターネット接続する回線はないんだ」という人は、 図書館へ行ってそれらしき書物を調べればいいかもしれません。 なんにせよその人物が津城を築城したおかげで、津市は城下町として発展して今のように活気のある町になったのです。