三重県津市のお寺

津市には趣深いお寺がたくさん

津駅

四天王寺

津市の栄町1丁目にある四天王寺(してんのうじ)はとっても強そうで格好いい名前なので、中学生男子が気に入りそうなお寺です。 強そうなだけあってとても古くから存在し、市内で最も長い歴史を誇るお寺だと市民の間では評判になっています。 いつからあるのか古すぎて正確にはわかりませんが、平安時代にはすでにここに建っていたと考えられています。 ただし今現在と全く同じではなく、戦時中にかなり消失してしまったそうです。 名前についてですが、よく使われる四天王とはフィクションの世界に住まう4人の強者のことを呼ぶ時に用いられます。 ボスの部下の四人の腹心、軍団長などをまとめて四天王と位置づけることが多いため、この肩書きならとりあえずは強いんだろうな、と思わせることが出来るので 少年が憧れるのも頷けるでしょう。 このお寺の住職さんがそこまで強いのかは戦闘シーンを見たことが無いのでよく知られてはいませんし、住職さんの下に4人の手下がいるのかも知りませんが、 四天王寺という名前から連想するのは強者です。 ここには三重県の津市にゆかりのある偉人達のお墓もあります。 藤堂高虎の正室の久芳院や土田御前がここに眠っているので、観光地としても満足することができるでしょう。

初馬寺

津市栄町にある初馬寺(はつうまでら)は聖徳太子自ら刻んだ馬頭観世音菩薩を祀っているので、有名な聖徳太子が開基と伝えられております。 馬頭観世音菩薩があるからか津の初午さんとも呼ばれており、きっと午年には日本中から聖徳太子のファンが押しかけるのでしょう。 彼の事を知らない日本人はいないと思いますが、一番良く聞くエピソードは耳が良いことではないでしょうか。 同時に10人の話を聞いてしっかり返答をしたとの逸話があり、これにより彼のことを豊聡耳と呼ぶ人達が現れたとのことです。 しかし実際にはそうではなく、10人が順番に話しかけて全て聞き終えてから10人に回答したという説が有力です。 つまり耳が良いのではなく記憶力が良かったというオチですが、頭の回転が抜群だったことは間違いなさそうです。 常人なら5人目の話を聞く頃には1人目の内容なんか忘れてしまいそうなのに、全てを把握したままやり遂げるのはさすがです。 どうして聖徳太子が馬頭観世音菩薩を作ったのか、言い伝えでは自分が病になったかららしいので、健康に関する御利益もあるかもしれません。 平安時代の前期に作られた大日如来坐像と平安時代後期の阿弥陀如来坐像は両方とも国の重要文化財に指定されており、 どちらも迫力のある力作ですので機会があればぜひとも見ておきたいところです。

神宮寺

津市の栄町ではなく納所町にある神宮寺(じんぐうじ)は、神宮になにかしらの関わりを持つことが予想される名前を持っていることにどれだけの人が気付くか ちょっと調べたくなるお寺です。 どの神宮関連なのか、それは伊勢神宮が正解で、伊勢神宮所領の米穀なんかを貯蔵することがもともとの役割とされていたそうです。 ここにいったん集められた米穀を伊勢神宮に送る、そのため神宮寺という名前が与えられたのが正解となります。 送ると言っても現代のように宅急便や軽貨物便はありませんし、人力を頼りにして輸送したのでしょうがきっと大変な作業だったと思われます。 スーパーでお米を買ったことが無い主婦はほとんどいないでしょうが、米俵を触ったり担いだ経験を持つのは国民の1割にも満たないはずです。 力士や農民ならいざしらず、普通のサラリーマンや飲食店経営者ではそんな機会は滅多にないからです。 なので米俵がどれだけ重量のあるものかを理解していない人が多そうですが、およそ60キロと成人男性と同じくらいの重さがあります。 これをいくつも運ぶのですからかなりの重労働で、この付近でその仕事に携わっていた村民はきっと怪力の持ち主が多かったのでしょう。 今でも津市出身の人は腕相撲が強いという噂があるかもしれないのは、こんな理由からかもしれません。